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5月の誕生石・ヒスイについて【日本編】

5月の誕生石の一つにヒスイがあります。
この東洋的な魅力に富んだ緑の石は、根強い愛好者たちがいます。
古い歴史とたくさんの伝説を持つヒスイについて解説します。
今回は【日本編】です。
日本で採れるヒスイはどういった特徴があるのでしょうか?

 

由来
 
カワセミ
 
ヒスイの名前の由来はカワセミです。
お腹が茶色で背中が青、水辺に生息するきれいな鳥です。
翡翠と書いてカワセミとも読むことができます。
宝石のヒスイはカワセミの名前を取って、川辺で採れる美しい青い石として、翡翠(ヒスイ)と呼ばれるようになりました。
 
一番古い歴史
 
世界で最も古いヒスイの産地は、実は日本なのです。
マヤ、アステカ、オルメカ文明の出土品にヒスイでできた彫刻がありますが、それは紀元前1200年ほど前のもの。
日本ではさらに古い、紀元前5500年前の縄文時代に作られたヒスイの装飾品が出土しています。
縄文時代中期には翡翠を丸くビーズに加工する技術を持つようになり、その後弥生時代にはまが玉などが作られるようになりました。
ジュエリーの歴史のない日本と言われていますが、古代にはこのように宝石を身に着ける文化が存在していたのです。
 
奴奈川姫伝説
 
おたきがわ
 
昔、新潟の辺りに【越(こし)】という国がありました。
8世紀ごろの伝説によると、越の国は奴奈川姫(ぬながわひめ)という美しい女王に治められていて、女王は緑の石を身に着けていたということでした。
その石こそが、日本で採れた古代のヒスイであるといわれています。
奴奈川姫は出雲の国(今の島根県)の大国主(おおくにぬし・諏訪大社の神様)に求婚されていました。
大国主の目的は越のヒスイを手に入れることでした。
奴奈川姫は何度も断るのですがとうとう根負けして出雲の国へお嫁に行くことになります。
そこで武御名方(たけみなかた)という子供が生まれます。
ところが、大国主の結婚の目的がヒスイだったため、機密情報を姫から聞き出そうとします。
それを断った奴奈川姫は、出雲から脱出を計り越に向かって旅立ちますが、大国主は軍勢を向けて奴奈川姫を捕まえに行きます。
そして奴奈川姫はどうにも逃げおおせることができなくなると、自ら死を選ぶことになるのです。
 
日本のヒスイ
 
8世紀と言えば、大和の国では聖武天皇の時代。
天然痘がはやり、疫病平癒を祈願して東大寺に廬舎那仏(奈良の大仏像)が建立されたころですね。
当時、あれだけ大きな仏像を作る技術があったというのは驚きでもあります。
聖武天皇亡き後、妻の光明皇后により、聖武天皇の愛蔵品を納める正倉院が建てられます。
正倉院には当時の宝物がぎっしりと納めれていて、その中には翡翠を使った品物もあります。
 
ヒスイは権力者の墓などから出土することがあるので、権力の象徴としての役割があったようです。
また、呪術的、宗教的な儀式にも使われていたとも考えられています。
 
実はその後、日本の歴史からヒスイは姿を消すのです。
奴奈川姫が死を選んだことで、越のヒスイの秘密が守られたのでしょうか。
伝説とぴったりと合うのが不思議ですね。
その後、再注目されたのは、ずっと後の時代になってからのことだったのです。
 
現代の日本ヒスイ
 
ヒスイ原石
 
1938年、研究者によって新潟の糸井川沿いでヒスイが発見されました。
現在はヒスイ産出地区は保護地域とされ、石の持ち出しは禁止されています。
また、ヒスイは日本の国石との指定を受けています。
 
ヒスイは緑色の石と思われていますが、実はいろいろな色が存在しています。
糸魚川からとれたヒスイも多色が存在します。
特徴としては、研磨する前の、自然な形の石(原石)の状態でも十分に目を引く美しさがあることです。
 
 

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