古い歴史とたくさんの伝説を持つ翡翠ですが、今回は中国での歴史について触れてみます。
というわけで今回は【中国編】です。
東洋的な魅力あふれるひすいは、中国ではどのように関わってきたのでしょうか?
翡翠は中国では古代から権力者の持ち物として大切にされてきましたが、ここで翡翠と言われている石は、ネフライト(軟玉翡翠)といわれ、ヒスイ(硬玉翡翠)とは別の鉱物でした。
実はヒスイは中国では採れません。
ヒスイ(jadeitite)が産出されるのは世界でも6か所のみ。
・日本 糸魚川~青海地域
・ミャンマー カチン州
・カザフスタン
・ロシア ウラル山脈
・ロシア アバカン
・中南米 グァテマラ
因みに、最も古い産地とされるのは日本の糸井川流域周辺、現在最も産出量が多いのはミャンマーです。
市場の9割のヒスイ(ジェダイド)はミャンマー産であることは知っておくと良いかもしれません。
中国古代の翡翠文化
古代中国では戦国時代(BC500~221)の後期辺りにネフライトが発見されたといわれ、その後、加工技術が発達していきました。ネフライトは儒教の価値観と深く結びつき、武帝をはじめとする漢の皇帝たちに愛されました。
翡翠の表す価値観
翡翠は儒教の教えにおいて「仁・智・義・礼・信」という5つの徳を象徴するとされ、この価値観が後世にも影響を与えました。孔子は翡翠を道徳の比喩として語り、その美しさと希少性を人格の理想と結びつけました。例えば、「翡翠の光は天に通じ、その硬さは地に通じる」という表現が、儒教的な「天人合一」の思想を象徴するものとして広まりました。
殷の時代から始まる翡翠の歴史
さらに時をさかのぼると、翡翠の歴史は殷(いん)の時代(紀元前1100年頃)まで遡ります。当時の翡翠は主に装飾品や儀式用の道具として使用され、特に高貴な身分の人々の間で珍重されていました。殷から周へと時代が移る中で、翡翠の加工技術やデザインはより洗練されていきました。
周の時代と翡翠
古代中国の周王朝の始まりには、翡翠を巡る物語がいくつか残されています。伝説的な人物である古公亶父(ここうたんぽ)は、家族や部族の繁栄を願い、息子たちに特別な使命を託しました。彼の予言では、「私の世継ぎで興隆するものがあるとすれば、昌(文王の諱)であろう」とされ、三男である季歴が家督を継ぎました。翡翠はその象徴として、王族や権力者の間でさらに重要視されるようになったのです。
漢の時代における翡翠の役割
漢の時代に入ると、翡翠はさらに多くの人々に広まり、儒教の教えとともに日常生活にも取り入れられました。特に、漢の武帝(ぶてい)は翡翠の文化的価値を高めた人物の一人として知られています。
彼の治世では、翡翠が皇帝権力の象徴としてのみならず、道徳的な理想を広める手段としても活用されました。
現代にも続く翡翠の魅力
このように、中国における翡翠の歴史は、単なる装飾品の枠を超え、人々の精神や文化に深く根付いた存在となっています。現代でも翡翠はその美しさだけでなく、長い歴史と豊かな象徴性によって、多くの人々を魅了し続けています。
翡翠の魅力を知ることで、古代から続く東洋文化の奥深さに触れることができるのではないでしょうか?今後も翡翠にまつわるさまざまなエピソードをお届けしていきますので、ぜひお楽しみに。